私は大地に生まれた。
どこまでも広がる豊かな大地は、完璧な円を描いている。
生まれ落ちた私に、どこからか祝福の声が降り注ぐ。
「この世界へ、ようこそ」
その声は、私の存在を喜んでいる。
私は声を持って生まれた。
私がここにいることを知らせ、私がどんなものかを表現する声。
いろいろな質感を持った、いろいろな音色があり、一音一音のすべてが私を構成する声だ。
時がたち、私は大きくなった。
私は仲間とともに暮らし、支え合って生きていた。
世界には仲間たちのたくさんの声が生まれた。
いつしか声には優劣がつけられ、その存在の是非を判断されるようになった。
必要とされなかった声は聴かれなくなった。
そのほうが、みんながひとつになれるのだと。
私も私の声を聴かなくなった。
必要のない声は私のなかに、ないことにした。
そのほうが、私が必要な存在になれるから。
ひとつになることを目指していた私たちは、部分になっていた。
世界には境界線が引かれ、ひとつにはなれず、私たちは対立した。
私の内側にも対立ができた。
聴くべき声が選別され、必要のない声を排除した結果、私は一部分になった。
誰かを責める声。不安に駆られて叫ぶ声。自分を責める声。
世界は騒がしくなり、いつの間にか、祝福の声も聴こえなくなった。
私の命が消えるとき、私は大地に還る。
生まれ落ちたときと同じ、どこまでも広がる豊かな大地に還り、完璧な円に含まれていく。
私たちは今、思い出そうとしている。
ほんとうは今も、そこにいることを。
ここにはすべてがあり、欠けるものがなく、私が含まれていることを。
この瞬間にも祝福の声が降り注いでいることを。
私たちが、声を取り戻し、すべての声を聴くことでひとつになれることを。
声とは存在であり、命だ。
声を聴くとは命のエネルギーに呼応することだ。
声を聴くとはその存在を含めることであり、私たちがひとつになっていくことだ。
私たちには声を聴く力がある。
”対話”という智慧を使い、自分と他者の声を聴き、その命を祝福しあう。
その循環に含まれていることを思い出すことが、きっとできる。