対話とは

対話の木の葉における「対話」とは、

今ここに存在する”声”に気づくことを通じて、自分や他者、世界との間につながりをはぐくむ場所です。

私たちは時折、”存在する声”に耳を塞いでしまうことがあります。

大衆の片隅に存在する小さな声、自分にとってどこか耳の痛い声、認めると何かが変わってしまいそうな声、微細な違和感や直感。

誰しも自分にとって耳を傾けづらい声があり、それは自身のアイデンティティを守るための働きでもあるため何も不思議なことではありません。

一方でそこに気づかれていない声がある時、様々な形で「葛藤」が生じることがあります。

自分自身の大切にしたいことと人生で起こる現実の乖離。

本音と建前のギャップから生じる、どこか安心することができない人間関係。

抑圧と欲望からうまれる過剰消費と生態系の破壊。

存在する声がないものにされているとき、なんらかの歪みが生まれてきます。

本当はどんな声も何か大切なことを表現しようとする産声です。

存在している様々な声に気づきが向けられ、聴かれている時、そこにはつながりと調和が生まれていくでしょう。

もちろん全ての声に耳が傾けられることは簡単なことではありません。

今の自分が聴きやすい声、聴きづらい声を自覚し、等身大の自分を起点に少しずつ器の広がりが起こる必要があります。

対話の木の葉のつくる「対話」の場を通じて、少しずつ聴かれる声が広がっていく道のりを共にしましょう。

私たちが大切にする「対話の姿勢」

今ここにあるためのスペース(余白、ゆとり、間)を大切にする(space)

反応から起こる判断を保留し、存在している声に気づく(awarness)

どんな声にも存在理由があり、そのどれもが全体にとって欠かせない声でもある(polyphony)

場から生まれる未知なる可能性を受け入れる(surrender, letting go)